秋田の発酵食文化を知るコラム「発酵哲学」


Vol.05「いぶりたくあん漬から始まった漬物技術① 〜いぶりがっこ誕生と原料となるダイコン〜」

「いぶりがっこ」と「麹」、どちらについてアップしようか迷いましたが、このサイトはいぶりがっこ専門店ということを思い出しました。
この真っ黒な漬物の正体を昭和の記録から紐解いてまいりましょう。

〇誕生
東北・秋田の冬は駆け足でやってきます。晴天は続かず。屋外でダイコンを干すのは極めて困難です。秋田は日照時間が短い説を少し是正すると、春から秋にかけては全国的に見ても晴れの日が多く、おいしいものが育つ最高の環境なんです。でも、冬の日本海は、、、つらい!

このため、囲炉裏が普通だった昭和の初めは、晩秋に収穫されたダイコンは、燃える薪の煙と熱によって、燻煙乾燥され、表面についた「煤(すす)」を洗い落とし、たくあんと同じような方法で製造したのが「いぶりがっこ」です。こうして、この秋田の地ならではの漬物が誕生しました。

いぶりがっこは、元々は農家の自家用漬物で、歯ごたえや風味の良さから販売用として本格的に生産を開始されたのが昭和50年代と言われております。

〇いぶりがっこに向いているダイコンがある
九州南部のような天日乾燥法による干しダイコンの製造に適していないことがスモーク風味の「いぶり漬け」を誕生させました。従来から早生、中生種はいぶり漬けに適さないとされ、農家では実際にいぶり漬けに供されてきたダイコンには以下の品種があります。

ここからは、本コラムらしくちょっとマニアックに!

宮重系→大蔵、三八、赤すじ、聖護院、方領、青かしら
練馬系→秋づまり、理想

秋田の地名である四ツ小屋、川尻などの地ダイコンが多く用いられてきたと記録が残っています。晩生種であること、繊維が細く、肉質が緻密で甘味があり、香りが良好であることが用いられてきた理由でしたが、肉質が堅いという理由で消費者からは好まれず現在は姿を消していますね。

秋田県として、昭和25年から秋田ダイコンと練馬1号ダイコンを交配、選抜し、昭和31年にいぶり漬け用のダイコンとして改良秋田ダイコンを育成した記録があります。それ以後は、農家で栽培するダイコンにこの改良秋田ダイコンが加わりいぶり漬け用の主力品種となりました。この改良がきっかけで、昭和50年頃秋田県南部に位置する平鹿郡山内村(現横手市山内)と雄勝郡雄勝町(現湯沢市)の事業者がプラスチックの包装形態で商品としていぶり漬けの販売を開始。

その後、「鬆(す)入り」、「穴あき」などの多くの問題が「改良秋田ダイコン」に見出され、当時の漬物組合では種子の更新などを秋田県に願い出ました。これを受け品種育成試験が昭和61年に再スタートしています。実に36年ぶりのことでした。

土壌条件で育成やダイコンに相違があり、砂質>黒ボク>粘土質の順番に出来がいいことを見い出してます。すなわち、同じ品種でも砂質土壌で栽培したほうが鬆入りや穴あきが少なかったわけですね。様々な品種のダイコンに挑戦し、燻煙乾燥技術や漬けこみ製造の技術などの問題点も逐次解決していったそうです。さらなる適正品種を求め、平成6年に6系統までいぶり漬け用のダイコン品種を絞り、平成15年に「秋田いぶりこまち」として、品種登録申請する運びとなりました。

次回は、燻煙乾燥(スモーク乾燥)に焦点を充てます。お楽しみに!