秋田の発酵食文化を知るコラム「発酵哲学」


Vol.03「ハタハタしょっつる」

今回もいぶりがっこではなく、、、
日本三大魚醤である、「ハタハタしょっつる」について。

本物の「しょっつる」を追求し守ろうという「諸井醸造所」諸井さんの活動、秋田・男鹿市の方々の活動。 そして、今年になり全国ネットでの放映につながり。 秋田の某有名料理店の店主は世界ナンバーワンの魚醤はハタハタで作る魚醤だと。ますます注目を集める「しょっつる」を探究していきます。

◆「しょっつる」って?
しょっつるは、いしる、いかなご醤油とともに日本の三大魚醤油のひとつであり、現在にいたっています。
特に鍋料理の用途に使用され、ハタハタのしょっつる貝焼、じゅんさいのしょっつる貝焼などのように称され調味液として用いられています。(従来はホタテ貝を用い、一人鍋であった。)

中国名を魚露(ユイロウ)と称す魚醤油は、中国・韓国を始め東南アジア一帯で日本における醤油のように万能調味料として料理全般の味付けに古くから使用されており、日本においても古来は醤(ひしお)と呼ばれ延喜式(927年)には鯖醤、鯛醤などが記載され平城京や平安京の市(いち)で売られていたそうです。 しょっつるが(塩汁・塩魚汁)秋田県の海岸一帯で自家用として造られたのは江戸時代初期と推定され、大門助右衛門という人物が現在の秋田市新屋(あらや)でつくったとされています。(新屋郷土史など)

男鹿市は、2009年末に、イタリアのチェターラから魚醤生産者を招き、本県初の魚醤フォーラムを開くなど、しょっつる文化継承へと力を入れています。イタリア料理とかしょっつる味の「男鹿やきそば」は知名度が上昇中です。
※チェターラでは、カタクチイワシを使った伝統の魚醤(コラトゥーラ)を復活。 この魚醤は古代ローマのガルム、古代ギリシャのリクアーメンに通ずるものとされているそう。タイにはナムプラーが有り、ベトナムはニョクマムが有名。世界各地に魚醤は存在しています。

◆しょっつるの歴史
しょっつるの由来は明らかではありませんが、落穂集に塩汁の記載があり乱世の武士が黒米飯に塩汁をぶっかけて食ったと言うのがあります。仕込む容器にも桶・樽のように地域や家で、相違が認められます。文化元年男鹿の秋風で、菅江真澄はネレケモチ、そばをハタハタのしょっつるをつけて食べたと述べている。

また、いわしだしで、そばを食べたと述べている。日本諸国名物尽(元禄:1688-1704年)には出羽国のハタハタ鮓(すし)の記載がみられる。また、ハタハタは
  「生ハタハタ → 塩ハタハタ → 鮓ハタハタ → 塩辛 → 塩汁」
のように変形し、その味を賞味していました。

しょっつるの製造販売の歴史をひもといてみると、佐藤佐七商店が明治28年(1895年)に創業したとされ、昭和20年8月の敗戦直後には、代替醤油として、秋田市内だけで25軒を越えていた製造業者も年々減少の一途を辿っています。

1995年当時は佐藤佐七商店(創業明治28年(1895年)、無臭しょっつるの仙葉商店(昭和10年頃)、高寅商店(昭和17年頃)(以上秋田市新屋)、秋田第一物産(能代市、原液の諸味は八森町鈴木水産)の4軒との記載が伝統食品の研究No.15にあり、統一した製造方法はなく、その工場に伝授された製法で経験的に実施している手工業的な業種形態であり、業種の組合は組織されていない。現在(2009年12月)は上記の高寅商店、秋田第一物産の製品はみあたらず、佐藤佐七商店、仙葉商店の製品に加えて諸井醸造所(秋田県男鹿市)、かがもく海産(八峰町八森)、漁協女性部ひより会(八峰町八森)の五社の製品が流通販売しています。男鹿市の活性化をみすえ開催した魚醤フォーラムの有力メンバーに諸井醸造所さんがいます。

しょっつる製造の最盛期は第二次世界大戦中とされ、極端に物資の不足していた時期と重なっている(昭和20年8月の敗戦直後の秋田市内で25軒以上)。現在しょっつるの需要は大半が鍋料理で、焼そばなどへの新規の用途拡大を提案している。現在の製造量は不明であるが、200kℓ程度(1973年)との報告がなされている。秋田県の内陸部(大曲周辺)で年輩(65歳以上)のかたはしょっつるを醤油の替わりに使っていたことを記憶している。秋田市周辺や八郎潟周辺部では50代以上の方にも、その記憶があり、料理に使用し、中には自家製のしょっつるもあります。

食味評論家の多田鉄之助や秋山徳蔵が陛下に差し上げた郷土料理として、秋田県はしょっつるを献上したことになっている。つまり、昭和のはじめ、都会の味覚者にしょっつるが認識されたことを意味し、家庭の惣菜以外に賓客への饗応など憚っていたのが特産の調味料として認知され、販路が開けたことを意味している。   昭和2年(1927年)に秋田県内務部商工水産課小沢技手が「しょっつる」を秋田市下浜海水浴場で鯛味噌などと一緒に販売できるように製造の指導にあたった。(ハタハタ、渡辺一、無明舎、1977年10月20日)

水産製造学の老泰斗である小野辰次郎の技術と星製薬株式会社の援助のもと長山正太郎が富山県氷見市で水産醤油工場を手がけたことがあった。(公開特許製法普及会(神戸市)昭和11年8月5日)規模は千数百石であったが売れなくて廃業となっている。感触として東京はだめで、大阪が良いと述べている。また、魚醤油は上手にやれば殆ど塩代くらいで事足りて、漁村の経済を潤す足しになる業種と位置づけている。さらに、魚醤油について秋田及び能登に於いては賞味されていることなどを述べ、都市に進出し得るものとこの水産醤油に期待をかけていた。   しょっつるは秋田の特産品であり醤油の代用品と言うよりも,寧ろこの方を賞味されています。(木俣正夫、大日本水産会、水産講座製造編第二巻魚醤油、昭和22年3月25日) などと評価されていました。

また、仙葉商店に於いては速醸しょっつるとして塩酸分解によるしょっつるが考案されている。(田村猪之助が昭和10年頃考案)   その他、いさざの塩辛液、白魚のしょっつるなど八郎潟で採れた魚の醤油も現在も細々と自家用として製造されている。(白魚は高級になりすぎ、幻の魚醤油となった感は否めないが)
(秋田さきがけ:うみと語らう55(1993.10.26),59(1993.11.30))

いやー、情報が濃い! 「しょっつる」を語るには今回だけでは終わりそうにありませんので、 次回も引き続き、しょっつる! 「しょっつる」の成分とか食べ方とか…。まだまだ濃いー情報満載になりそうです。